気まぐれ日記 09年4月
09年3月はここ
4月1日(水)「エイプリルフールはまたたくまに過ぎて・・・の風さん」
昨夜は、5月の日本経営工学会春季大会の予稿を書き上げることができなかった。そもそもひと晩で完成させようなんて、大胆過ぎる〜(笑)。
今日は、久しぶりに本社へ出張し、会議に出、帰りにちょっとある所に寄り道してから製作所へ戻った。わずかな時間も惜しんで勉強や取材をやっていないと、あっという間にマルチ人間は破綻する(もう破綻しているか)。
製作所に戻ると、予想していたことだが、会議の嵐だった。それでも突発の問題に対する会議でない分だけまだマシだったが。
今夜こそ予稿を書き上げねばならないので、速攻で帰宅した(最近、毎日かな)。
薄暮の田舎道をミッシェルで爆走して帰るのだが、実に爽快な気分だ。
夕食後から、わき目もふらず予稿の作成に没頭した。
完成したのは午前1時半だった。
風呂に入ろうと階下へ降りたら、読書中のワイフがニコニコしていた。やけに機嫌がいい。気味が悪いくらいだ。
わざと「こんばんは」と他人行儀な挨拶をしても、機嫌は変わらない。
「どうしたの?」
「シルバーが……」
聞くところによると、もうろくしたシルバーの動作が怪しくなったので、トイレかも、と思ったワイフが、シルバーを抱き上げて人間のトイレへ連れて行った。そして、抱いたまま洋式便器の上に……。
見事にう@こを溜まった水の中に落下させたのだという!
まるで幼児にう@こをさせているみたいだ。
入浴後、リビングへ行くと、ワイフがたからしげるさんの新刊『由宇の154日間』を読み終えたところだった。
「すっごく良い終わり方で、感動したわ」
とのこと。
予稿はできるし、シルバーは人間のトイレでう@こをするし、たからさんの新刊は傑作みたいだし、もうエイプリルフールは過ぎているし、本当に良い1日だった。
4月2日(木)「勤務先OBのベンチャー・・・の風さん」
睡眠不足だったが、目覚ましで起床。
本社へミッシェルで直行した。桜が開花した本社内に、昨日群れていた新入社員の姿は、今朝は少なかった。
できたばかりの予稿を、社外発表許可を得るために上司へ提出し、早々に本社を後にした。
社会人になってから常に前を向いて仕事しているので、後ろを振り返る余裕がなく、過去はどんどんおぼろに霞んでいく。しかし、たとえ記憶は薄れても、大切な思い出だ。日本人の情緒の源泉に過去の記憶がある、と藤原正彦先生が書いておられた気がする。こういった情緒に気付くことで、小説が書けるようになる。小説修行は人生そのものである。
やっと学会出張報告を書き始めた。
夕方、席に外線がかかってきた。マンション経営を促す怪しいではなかった。この手の電話に対しては、受話器をとった同僚が「惜しいことに鳴海は昨日亡くなりました」と言わせているので、最近ほとんどかかってこなくなった(もちろん嘘)。
勤務先のOBからだった。ただし定年退職者ではない。技術支援の会社を立ち上げた、寺倉修さんという方だ。今年、日刊工業新聞社から『設計力こそが品質を決める』という本を出したという。サブタイトルは「デンソー品質を支えるもう一つの力」。書名からも分かるように、デンソーの技術部におられた方である。
リタイヤされた方が製造現場の指導をする例はとても多い。新興国の海外からの引き合いもある。特定の技術であれば、製品の立ち上げ指導ということもある。
しかし、この方の場合は、製品設計技術をコアにして事業化しようということのようで、やや珍しい気がする。
いずれにしてもデンソーファミリーとして注目しながら応援していきたいと思った。
予稿がほぼ終わったので、次は『円周率を計算した男』の再校ゲラの校正だ。
急いで帰宅したが、夕食後、どっと疲れが出てダウン。
午前1時過ぎに目が覚めたので、それから入浴し、午前4時半くらいまで頑張った(明日あたり死ぬかもしれない)。
4月3日(金)「やっとこ再校ゲラが完成・・・の風さん」
未明の2時間の睡眠補充で再度起床(笑)。
今日は出張予定はなかったが、電車通勤はやめて、またミッシェルで出社。
朝のラジオ体操をしながら、いくら何でもそろそろトレーニングを開始しないと本当にやばい、と思う。1日に会社で倒れた同僚の話を聞いたばかりだったし。
今日も食い散らかすように様々な仕事に手を出した。それだけ、たくさん仕事がたまっているのだ。
昼休みに机の上で顔をうずめて寝たフリをしたら、そのまま15分間爆睡してしまった(笑)。やはり疲れているのに違いない。
さっさと退社。
途中で給油。ついでに自動洗車したら、真っ白なミッシェルがモスグリーンになった(笑)。
さあ、いくら何でも再校ゲラを完成させなければ。明日、上京ついでに届ける予定なのだから。
午後11時前後から意識が朦朧としてきた。限界らしい。しかし、校正は終わっていない。
いつものように書斎で横になったら、そのまま寝てしまった。
途中で何度も目が覚めたが、体が起き上がることを許してくれなかった。
結局、午前3時にやっと起きて、校正作業に着手。
終わったのが午前6時。
それから風呂に入りに階下へ降りた。
4月4日(土)「野村先生のお見舞い・・・の風さん」
予定通り東京へ出発。
天気予報は、名古屋地方は午後から雨、東京地方は夜が雨。うまくいけば東京雨男は避けられる。
名古屋までの名鉄では睡眠の補給。
のぞみ車中では、校正ゲラの最終チェック。これが実に品川駅までかかった。慌てて持参のおにぎりをほおばって、からくも東京駅で下車。12時10分である。
中央線で御茶ノ水へ。
再校ゲラを直接届けようと新人物往来社のある錦三ビルまで行ったら、玄関が閉まっていた。ケータイで電話すると、裏口が開いているという。急いで裏へ回った。編集長はお休みだったが、無事に手渡し完了。
神保町から都営新宿線で新宿へ。
新宿駅東口紀伊国屋書店の向かい、三越アルコットの上にあるジュンク堂新宿店を初めて訪問。
理工書担当の女性に案内されて8階の喫茶室へ。そこがトークセッションの会場になる。池袋店以上にビジュアルトークはやりにくそうだったが、プロジェクターを所有しているというのがありがたい。
それから、新鷹会の野村先生のお見舞いに行った。
都営大江戸線で「光が丘」まで行くので、けっこう遠い。
病院の周囲の桜は満開寸前だった。
しかし、その桜を先生はまだご覧になってはいないとのこと。それだけ今は病状が重いのだ。その先生にあまりしゃべらせてはいけないと、できるだけこっちが近況を話した。
また1ヶ月くらいしたらお見舞いに来たいと思った。
帰りの新幹線では、目的を果たした疲れがどっと出て爆睡。名鉄でもうつらうつらしていた。
帰宅し、カレーライスの夕食を摂り、就寝前にワインまで飲んで、フラフラでベッドに倒れ込んだ。
4月5日(日)「1年8ヶ月ぶりのトレーニング・・・の風さん」
結局、昼近くまで寝ていた。久しぶりの惰眠か。
しかし、雨上がりの外は、意外なほど穏やかな気候で、こちらの気分もしっとりと落ち着いてくる。
食べそこねた朝食は無視して、昼食後、ちょっと雑用をした後、1年8ヶ月ぶりのトレーニングに出かけた。睡眠は十分でも、首や腰や肩やあちこち痛いのだ。これは明らかに運動不足による筋力低下が原因だ。
窓を全開にしてミッシェルで体育館へ向かった。
エアロバイクを皮切りに、次々にマシンを渡り歩く。もちろん負荷は、以前よりも1ランクずる落として、だ。それでも、腕を使ったトレーニングでは、五十肩が痛い。ストレッチ関連でも、股割りのようなことができない。開脚が困難なくらい体が硬くなっているからだ。
こうしてたっぷり1時間半、体を動かしたら、何となく体が軽くなった気がするから不思議だ。
これから少なくとも週に1回は来よう。まだまだ大事なイベントがたくさん待ち構えている。
夕食が夫婦二人だけになってしまったので、近くのレストランまでパスタを食べに行った。
わずか半日しか起きていないのに、こんなのんびりした日はいつ以来だろうか。覚えていない。
4月6日(月)「書ききれない1日・・・の風さん」
今日も不況のために生じた休業日である。外はきわめて穏やかな陽気なんだがなあ。
長女が帰ってきてランチをしようと相談したので、スタンバイして待っていたが、名古屋を出発するのが遅くなると連絡してきた。仕事のことで悩みをいっぱい抱えている長女なので、ランチでもしながら、ゆっくり話そうと思っているのだが……。
シルバーが朝から陽だまりでぼんやりしている。恍惚としているだけではない。体が小刻みに震えている。寒さのせいではない。よく見れば足も手もガリガリに痩せている。心なしか毛が逆立っているようだ。顔つきも険しい。いよいよ危ないのかもしれない。なにしろ18歳くらいなので、かなり高齢ではある。老衰なら天寿全うなのでむしろ祝うべきだろう。せめて朝眠るように死んでいてほしい。そうしたら、ちゃんと火葬にして骨を拾い、小さな骨壷に保存しておきたいと思う。
長女からランチは無理というメールが入った。
ワイフは夕方から整形外科へ五十肩の治療に行かねばならないので、そわそわしている。
わたしは、4時から大野先生と豊田市の八草キャンパスでゼミの約束をしていたが、どうも状況はゼミを許してくれていない。止むを得ず、先生へ電話して、ゼミを中止し、日本経営工学会春季大会の予稿原稿のチェックは、メールか電話でとお願いした。
はたしてワイフが病院へ出かけた後、長女が帰ってきたので、駅まで迎えに行った。
不況だけが原因ではない殺伐とした職場風土の話を聞いて、これはそろそろ限界かもしれない、と思った。人生は長いので、今後のことはしっかり相談に乗ろうと思う。
そんなこんなのあれこれをやりながら、今日、執筆マシンにパーティション操作とバックアップソフトの2つをインストールした。早速1時間かけてパーティションの比率(CとDドライブのね)を好きな割合に変更した。今後、バックアップのジョブを作成すれば、執筆マシンはほぼ最強となるな(満足)。
シルバーは何とか今日を生き永らえている。めでたいことだ。
4月7日(火)「春爛漫・・・の風さん」
春らしいのどかな気候で、今日も電車で出勤することにした。
自宅からとぼとぼ歩いていると、道端の草木に目が行ってしまう。自宅裏の土地の中に土筆(つくし)を発見した。電車を待つホームから外を眺めれば、桜や桃やハナミズキの花がそこかしこに見える。製作所へ着くと、周囲の桜はほぼ満開である。
幕末に日本を訪れた欧米人は、こういった景色に感嘆の声を上げたに違いない。
そして、現代も、日本人の繊細な感覚が作り出す商品の出来栄えに、彼らは賞賛のためいきをついているのだ(さすが愛国者)。
会社ではけっこう動き回って疲れた。
帰宅して、夕食後、拙著を郵送する準備をした。2箇所である。
この間に猛烈に花粉症がひどくなり、強い抗ヒスタミン剤を飲むハメになった。
続いて、明日県図書に返却予定の本の必要部分のスキャナーコピーに取り組んだ。この作業を2時間近く続けたが、やや精細な画像を求めたので時間がかかり、終わらなかった。明日はまた借用の継続だ。
フラフラでベッドに倒れ込んだ。
4月8日(水)「定時後も忙しい風さんの巻」
重い本をカバンに入れて出発。今日も電車通勤だ。
暖かいので助かる。しかし、檜の花粉が大量に飛散しているので、今日はマスクをしている。
製作所の最寄の駅で、昨夜用意した郵便物を2つ投函した。封筒にはどちらも本が入っていたので、かなりカバンが軽くなった。
夕方、学会発表の出張報告をすべて書き終えた。自分でやるしかない仕事を終えるとホッとする。
明日から部下と共同の仕事に力を入れねば。
県図書へ行くため、定時で退社。会社バス、名鉄、市バスを乗り継いで、県図書に着き、継続手続きをしてすぐ帰りのバスを待った。
こうして、行きと逆のパターンで家路についた。
自宅の最寄の駅に着いたのは、退社してから3時間後である。これでも恐るべき速さと言える。
帰りの名鉄車内で、たからしげるさんの『由宇の154日間』を読み終えた。心温まる、たからさんらしい愛に満ちた物語だった。終わり方も実に気持ちよかった。多くの子供らに読んでもらいたい。
今日はマスクのおかげで、何とか花粉症が重くならないで済んだ。
4月9日(木)「自然に抱かれた風さんの巻」
電車で出勤しようと家を出た。今日ものどかな日和だった。
路傍にたんぽぽを発見した。
最寄の駅まで続く急な下り坂を降りているとき、左右、両方から修練を積んだうぐいすの声が降り注いできた。
……製作所までのバスの窓から眺めていると、れんげで覆われた畑がいくつもあった。
帰宅時も穏やかな気候のままで、中天からは大きな満月が暖かな光を投げかけていた。
朝と反対に、自宅へ続く急な坂道を登って行くと、真っ黒な林の奥から、鋭いけり(チドリ科)の鳴き声が、夜空を切り裂くように何度も何度も聞こえてきた。キキッ、キキッ……。
4月10日(金)「のんきな風さんの巻」
今日も抜群に好い天気だった。
実は、昨日、文庫用『円周率を計算した男』の三校ゲラが届いていた。今日までに最終の修正指示を出してほしいということだったので、昨夜帰宅し、夕食を摂ってから食堂のテーブルの上でチェックを始めた。もう何度も繰り返している校正作業なので、最終チェックは各ページをざっと眺めるだけでできる。それで、400ページ近い原稿を、2時間弱でチェックし、10ページもの修正箇所を発見することができた。
それらをスキャナーで読み込んでpdf化し、パソコンからファックス送信した後、電子メール添付で出版社へ送った。午前零時を少し回ったところで、すべての作業を完了した。
何となくすごい量の仕事をこなした気になって、安心して寝られるような気がした。
ゆったりした気分で風呂に入り、念のため花粉症対策マスクをしてベッドに潜り込んだ。怪しい姿である(笑)。……が、あっという間に爆睡していた。
ミッシェルで出社。ラジオ体操もやった。
午前中、会議やデスクワークをこなし、昼食後、オフィスの掃除に参加した後、三重県にある製作所へ、2年ぶりに出張した。
絶好のドライブ日和だったので、スピードを出さず、後方へ流れ去る風景を楽しみながら走った。
少し早く着いたので、製作所近くの公園へ乗り入れたら、桜が満開だった。
帰りは、伊勢湾岸道路の途中のパーキングに寄り、名物のお菓子を買った。
今日は、6月5日にやらせてもらうトークセッションのために、ジュンク堂書店新宿店へ、いくつかのデータを準備して送信した。
4月11日(土)「作家らしい1日?・・・の風さん」
昨夜もマスクをして寝た。ベッド脇の放電式の空気清浄機も、昼のうちに電極をクリーニングしておいたので、オゾンが豊富に放出されていた。あっという間に就寝できた。
しかし、今朝は予定よりも早く目が覚めてしまった。
午前中は、25日に地元でおこなう講演のレジュメ作成に当てた。地元がキーワードなので、従来の資料に新たなデータを付加しなければならない。昨夜もある資料が見つからなくて困ったが、今日も欲しい資料が見つからなかった。何年も前に入手した資料は、しばらく使っていないと、書斎のどこにあるのか分からない。それだけ書斎は資料で溢れ返っているのだ。とりあえず、社会人入学で必要な資料は、ほとんどを会社のデスクに保管(一時避難?)しているのだが……。
昼食後、猛烈に疲労と睡魔が襲ってきた。本当はトレーニングに行かねばならないのだが、体が言うことをきかない。
1時間半ほどぶっ倒れて、再び起き出したときは、もう時間的余裕がなかった。
今日は会社の仲間の通夜に参列しなければならない。お母さんがお亡くなりになったのだ。まだ若いと思うのだが。
電車と地下鉄を乗り継いで斎場まで行くことになる。往復3時間強だろう。読みかけの藤原先生の文庫を携えた。
帰宅し、夕食後、今度は、来年出版予定の児童書の企画書作成に着手した。実在の人物の小説だが、ほぼ人生を語ることになる。優れた人物の本当に優れたところが何だったのか、それを子供らに伝えたい。楽しく読み物として、もちろん感動できる内容で。
明日は、その人物の何度目かの取材を兼ねて大阪まで出かける。
4月12日(日)「大阪取材・・・の風さん」
会社へ出かけるような、いつもの時間帯に起床。窓の外は上天気である。
名鉄と新幹線を乗り継いで、新大阪へ着いた。
最初の目的地は「天王寺駅」近くである。以前にも取材で来たことがあるが、そのとき、写真を撮るのを忘れたので、今日は写真撮影が主目的である。
今後のことも考えてICOCAカードを購入した。これで、Suica、toicaと3種類のカードすべてを所有することになった。鬼に金棒かも。さあ、どこでも行くぞー。
ところが、大阪駅から「天王寺」駅へ向かう電車を乗り間違えてしまい、また大阪へ戻って行き直したので、到着時刻が計画より30分以上遅れてしまった。
それにしても日差しが暑い。確実に夏日になりそうだ。
その炎天下、墓石群の写真をせっせと撮影したのだが、全部で20基もあったので、じゃんじゃん撮っている間に、電池の残量が乏しくなってしまった。しかし、無理やり撮影を強行した。
続いて、大阪城公園へ向かった。
実は、大阪城は高校の修学旅行以来で、39年ぶりになる。ただし、39年前の記憶は皆無だ。
桜がもうおしまいで、風が吹いても吹かなくても、はなばなしく散っている。既に葉桜だ。
それでもすごい人出でびっくりした。しかも若い人が圧倒的に多い。
お堀端で、名古屋駅で買ったおにぎりで昼食にしたが、炊き込みご飯を材料にしたおにぎりで実に美味かった。
大阪城公園内には、人出をあてこんだ屋台と大道芸人が多かった。
今日は、下見程度にするつもりだったので、天守閣の入口と旧大阪市立博物館の建物の前まで行ったところで引き返した。足も痛くなったし。
その後、大阪駅へ戻り、近畿和算ゼミナールに途中から参加し、そろばんによる開平、開立計算のやり方などを学んだ。
来年の作品のためには、もっともっと大阪を肌で感じる必要があるな。
4月13日(月)「せっかくの休日なので・・・の風さん」
今日も不況による全社一斉休業日。会社はピンチだが、仕事が遅れている私としては少しでも挽回できるので助かる。
なるべく寝坊せずに起床した。空は見事なまでに晴れ渡っている。
午前中、病院へ行った。内科と整形外科で診てもらうためだ。こういうこともさっさとやっておかなければ、いつまでも心配の種として残る。とりあえず薬をもらったりアドバイスも聞いて今日は終了。
昼食後、またミッシェルで出かけた。算額のレプリカを飾っている寺に写真を撮りに行ったのだ。さらにもう一箇所、今は算額はないが、かつて算額が発見されたことのある無住の寺へも行き、絵馬堂の写真を撮った。
帰宅してから、手紙を書いて、さらに経費の記録もつけた。
夕食後、やっと作家らしい執筆に着手したが、ぼやぼやしているうちに寝る時間が迫ってきたので、今日は「おしまい」にした。
ネットでチェックすると、来月の学会発表のプログラムが確定していた。新鷹会の塩原温泉勉強会に参加してからでも、ギリギリ間に合う時間だった。後日、詳細スケジュールを作らねば。
4月14日(火)「今日は雨・・・の風さん」
天気が一転して崩れることが予報されていたので、今日はミッシェルで出社した。
しかし、朝のうちは雨は降っていない。
先週末午後の出張から、昨日の休業日まで、随分と長く席を外していた影響で、仕事がたまりにたまっていた。それらをてきぱきと(それほど能率的ではなかったが)片付けているうちに、あっという間に定時後になってしまった。
退社時はすごい雨になっていた。今日、会社でA1サイズのプリントを、同僚に作成してもらったので、抱きかかえるようにして駐車場を走った。
土砂降りの中の運転は疲れる。
やっと帰宅し、夕食を摂ったら、一気に疲労が襲ってきた。
少しでも執筆を、と着手はしたものの、ほとんど進まなかった。
就寝前に血圧を測ってみると、やや高かった。
ベッドにもぐりこんで、アイルランド文学をちょっと読み始めた。案外面白い。
4月15日(水)「新鷹会のスケジュールが変更・・・の風さん」
昨日の雨が嘘のように晴れ上がった。
ミッシェルで本社出張。
不況のために勤務先は全社上げて体質改善と業務変革に取り組んでいる。今日はその3ヵ年計画の説明を聞いたが、グローバルな取り組みがほとんどで、相当な困難が予想される。私も頑張らねば。
製作所へ帰る途中、郵便局で振り込みをした。どんどんお金がなくなる(涙)。
今日も昼休みにビジネス英語の勉強をした。どうも頭がボケていてすんなり記憶のひだにはさまらないな。
定時後も仕事して、昨日よりやや遅く帰宅。
新鷹会の仲間から電話があった。塩原温泉勉強会の参加が少ないという。相談した結果、来月は中止して再度日程調整することになった。残念。また、今年の長谷川伸の会の日程の連絡もあった。いつもと違うスケジュールになる。また有休が必要だ。
そんなこんなで、今夜も執筆ができなかった。
4月16日(木)「Google問題・・・の風さん」
著作権と関係している者にとって、驚天動地の事件が起きている。
インターネット上で、地図だけでなく、住居地の詳細な写真まで掲載したGoogleが、またやってくれたのである。今度は、アメリカの図書館に収蔵されている書籍の中身の画像データを、公益に供するからという理由で公開してしまったのである。
その問題がアメリカで裁判になっていたのだが、なんと、出版業界などがGoogleと和解してしまったのだ。正義も良識もディベートの前には屈するものらしい。
ま、とにかく、もっと驚くべきことに、これは、海の向こうの他人事ではなくなってしまったのだ。詳細は面倒くさいので省くが、日本の作家の著述で、アメリカの図書館に収蔵されている書籍も対象なのである。インターネットの世界に国境はないから、我々も無関係でなくなったのだ。
これで慌てたのか、日本文芸家協会から緊急の手紙が届いた。文法的にも拙い文面で、内容は、急いで決断しろ、というパニック的なものだった。「はい、そうですか」と応じられる内容ではない。
続いて、某出版社からも手紙が届いたが、こちらは「和解した方がよいと弊社は考えたが、その後の選択肢については、著作権者の皆様と一緒に考えていきたい」という良識的なものだった。
しばらく動向をウォッチする必要がある。
若桜木虔さんから、またまた小説作法の新刊が届いた。『小説キャラクターの創り方』(雷鳥社)である。
ワープロやIT技術の浸透で、国民総作家化時代に突入しているから、こういう書籍が必要とされるのだろう。『源氏物語』以来、高い文学文化を継承してきた日本なので、裾野が広いことは歓迎である。ということは、プロはいっそうプロらしく、より高貴な文学を目指さねばならないわけで、身が引き締まる。
4月17日(金)「南山誠林さんにあやかりたい・・・の風さん」
出張先の名古屋で姓名判断の南山誠林さんとお会いした。南山誠林さんのホームページは、最近、毎日3000件のアクセス数を誇っているそうだが、スポンサーがつくには10000以上必要とのことである。1日のアクセス数が20〜30の当サイトから考えれば、途方もない数字である。
南山誠林さんとのお付き合いはもうかなりになるが、前回お会いしたのは、昨年のジュンク堂池袋本店でのトークセッションのときである。来る6月5日(金)19時から、今度はジュンク堂新宿店でトークセッションをやるので、そのことを伝えてあったところ、来てくださるとのことだった。トーク後、臨時の姓名判断コーナーでもやろうかしら。
話は変わって、ワイフがこのところ、強烈な五十肩(まだ五十歳前なのに)で苦しんでいる。それで、通院もし、投薬も受け、リハビリもこなしているのだが、いっこうに快方に向かわない。ついついこちらもきつい言い方で、ああしろ、こうしろ、と提案してしまい、病人を追い詰めていた。
今日も病院へ行ってきたので、様子を聞いて、半分納得半分驚いた。
注射嫌いのワイフが勇気をふるって鎮痛のための注射をしてもらい、少し効いてきたという。これは良かった。
続いて、肩部だけでなく、首のあたりもレントゲン写真を撮ったところ、私と同様の頚椎症が発見されたという。しかも、かなり重症の。ただし、固まっているらしく、今後の対応は私とは異なる。
4月18日(土)「蛙の合唱・・・の風さん」
昨夜は疲労感で、どうにもやる気が出なかった。
しっかり寝た今朝は、元気に飛び起きて、今度の土曜日の地元での講演の準備を始めた。やりながら、どうしても地元の図書館へ行きたくなり、電話して先方の都合を確認し、午後から出かけた。
目的を果たした。
夕方から出かけた。職場の飲み会で、新入社員歓迎会。ただし、新入社員は全員未成年なので、歓迎会を口実に、皆が飲む会だった(笑)。
禁煙コーナーに席を確保した私は、必然的に新入社員の近くに座ることになり、年齢以上にしっかりした彼らを観察できた。日本の将来は明るい。
ワイフだけでなく、私も五十肩がだんだんひどくなってきたので、自棄酒を飲んだ(悪影響があるか)。行きの電車では英語を聴いていたが、帰りの電車では爆睡状態だった。
最寄の駅から自宅までの田舎道をたどると、湧き上がるような蛙の合唱である。今年、ぴょん吉は帰ってくるだろうか。
季節は止まることなくめぐっている。
4月19日(日)「上腕二頭筋の鍛錬・・・の風さん」
朝刊トップを見たら、変な記事が出ていた。ソマリア沖で警戒・警護活動をしているのだが、想定した船数の半分しか守れていない、というのである。たとえ1隻でも海賊から守る必要があるのに、船の数が少ないなら、守る必要はないと言わんばかりの書き方だった。
朝から、昨日終わりまでたどり着けなかった、次の講演の準備の続きをした。
基本的に私は凝り性なので、仕事を始めると長くなる。やりながらどんどんアイデアが出てきて(と言うより、着手前にはあまり頭が働かない)、予想外に時間がかかるのだ。
結局、夕方までかかり、それでようやくまとまったレジュメを事務局へ送って、一段落することにした。
そして、やっとトレーニングに行ける状態になった。
昨日の夕食後と今日の昼食後に、鎮痛剤のロキソニンを服用したので、肩を動かすチャンスでもある。
今日は25℃程度まで気温が上昇しているので、家からもうトレーニングウェアである。
前回と同様に負荷を軽めに設定して、単年にこなしていった。五十肩に影響があるラットプルダウンやショルダープレスは、慎重にやらねばならないが、足腰を強化するトレーニングなら、次回から負荷を上げられそうだ。
最後に、初めてダンベルを握った。これは、昨夜、腕相撲をやって敗北したので、上腕二頭筋を鍛えてやろうというと思ったからだ。5kgのダンベルを逆手で左右に持って、脇をしめた状態で持ち上げる。筋肉に適度な緊張が走って気持ちよい。
その後、裏道ばかりを通って、ミッシェルに給油して帰宅した。
4月20日(月)「レッドクリフで勉強・・・の風さん」
3週連続の会社休業日となった今日、ワイフの提案で、ウィッシュの12ヶ月点検ついでの映画鑑賞となった。行き当たりばったりの今回は、「レッドクリフPartU」(時間の都合もあって吹き替え版)となった。映画館に小学生がいっぱいいたぞ。
江戸時代には詳しい風さんも、三国志はさっぱりである。今日はPartUを観たが、PartTも観ていない。ということで、予備知識はほとんど皆無。
感想。役者がよかった〜。日本人俳優はともかく、中国人俳優が日本人俳優の誰かとよく似ていて、とても親近感を覚えた(笑)。え? たとえば誰かって? うーん、曹操のチャン・フォンイーが若い頃の志村喬(分かるかなぁ)。じゃあ、もっと若い人にするか。周楡(木へんじゃない王へんだ)のトニー・レオンが坂本龍一、小喬のリン・チーリンが仲間由紀恵とか。
物語は単純明快でよかったが、人間描写がイマイチだったな。たとえば重要人物であり、最も人間的で魅力ある人物に仕立てられる可能性のある曹操だ。野心家の曹操の弱点ともいうべき小喬に対する恋心をもっと描くべきだ。終盤で「だまされた!」と思ったときの反応が、最大のポイントになる。ここで、小喬に対する憎悪の炎を燃やさせるのでなく、むしろ自分に対する腹立たしさを演じさせるべきだ。そして最後は、周楡に助けられるのではなく、武将らしく一騎討ちをして破れる。息を引き取る間際に周楡か小喬へ向かってひと言漏らさせる。「小喬を幸せに」か「男を見る眼があるな」とか(ここはひと工夫もふた工夫も必要だ)。
といった具合で、作家は映画を観るのもすごく勉強になる。
帰宅したら、『算法少女』の遠藤寛子さんから手紙が届いていた。封書の裏に「ココニモネコズキ」と書いて、子猫の絵が描かれていた。そういえば、私は猫の絵が描かれた一筆箋にひと言メモみたいな手紙を書いて送ったのだった。そうかあ。遠藤さんも猫好きかぁ。
4月21日(火)「体力不足は否めず・・・の風さん」
昨夜遅く会社のメールチェックをした……ために、早朝から本社へ出張することになってしまった。
睡眠不足をものともせず有料道路をミッシェルで疾走した。
8時開始で役員報告。冴えなかったな(笑)。
昨夜自宅でメールチェックしてあったので、その分楽で、色々な仕事ができた。設備の設計図も進んだ。
日中は夏のような蒸し暑さ。はたして雨が降り出した。
帰宅時は元気だったが、夕食後、書斎に入って執筆を始めようとしたら、猛烈に疲労と睡魔が襲ってきた。ちょっとだけ休養を、と横になったのが運の尽き。目が覚めたら日付変更線を越えていた(笑)。
明日こそ……。
4月22日(水)「TOEICに申し込んだ・・・の風さん」
二日連続の睡眠不足本社出張。
本社出張にはミッシェルが必要だ。しかし、猫のシルバーと一緒で、初年度登録から丸12年になるミッシェルは、走行距離も136000kmを越えて、だいぶパワーが落ちてきた感じがする。大事に乗らねば。
製作所に戻ったのは昼前である。
今日も、昼休みにビジネス英語を4ページやった。ボケた頭には、こんなスローな勉強では刺激にならないかもしれない。しかし、やっぱり眠くなる。
午後、現場へ足を運んだのが運の尽きで、設備トラブルに巻き込まれ、だいぶ時間を食ってしまった。
そのせいで、予定の仕事が3つほどできなかった。
珍しくケータイにケータイから迷惑メールが来た。未払い料金を払えという脅しメールだ。差出人のアドレスからX社のケータイである。私のケータイはY社。そこで、X社のホームページをチェックして、X社の迷惑メール対応係りへ、もらった迷惑メールを転送しておいた。ちゃんと調べて処置しておけよ。
Googleがアメリカで著作権にかかわるとんでもないことをやっていることは今月16日に既に書いた。
はたして拙著がどうなっているか念のため調べてみた。
すると、カリフォルニア大学の図書館に所蔵されている『算聖伝』が、昨年6月にデジタル化されていたことが分かった。日本語なので、アメリカに住む日本人が読んでくれれば、まあよし、とするか。『美しき魔方陣』は不明だが、その他の拙著はまだデジタル化されていなかった。
社会人入学で英語に触れているため、腕試しにTOEICを受けてみることにした。初めてである。ネットから申し込んだ。受験料が高いなあ。
4月23日(木)「猫の老老介護・・・の風さん」
昨日に続いて風の強い日だった。その強風をついて電車で出社。眠くても少しぐらいなら読書できる。上野先生の『数学フィールドワーク』を読み進んだ。
睡眠不足でフラフラだったが仕事をしなければならない。今日も必死で頑張った。書きかけの図面も完成させた。
夕方早めに退社。やはりまだ風が強い。
帰宅したら、玄関にシルバーのう@ち! ワイフは整形外科へ行っているようだ(五十肩の治療)。やられたー。片付けが終わるとすぐ、う@ちの後始末。続いて、シルバーを浴室へ連れて行き、温水シャワーで下半身を洗ってやる。もう本当に介護と一緒。しかも老老介護という点まで人間と一緒だ(笑)。
ワイフが帰宅した。シルバーのお尻がまだ汚いと言う。もう一度浴室へ。
夕食までに、共用パソコンのハードディスクのバックアップに挑戦。のろのろだがスタートさせることができた。
寝る前に共用パソコンをチェックしたら、まだバックアップ中だった。明朝までに終わるかどうか微妙な感じだった。
SMAPの草なぎ君が泥酔して事件を起こした。警察や政府やマスコミなど周囲の過激な反応に腹が立った。芸能人が何か怪しい事件を起こすと、徹底的に叩くという下品な行動だ。本人は記憶を失っていたようだが、きっと人知れないストレスがあったのだろう。ちょっとつらいだろうが、3ヶ月程度、ゆっくりしたらいい。
4月24日(金)「とりあえずバックアップは終了・・・の風さん」
出社前に共用パソコンをチェックしたら、バックアップが無事に終わっていた。所要時間は10時間と4分5秒。完全バックアップで、さらに圧縮をかけたから仕方ないのかも。
続いて照合チェックに入った。帰宅するまでに終わっているだろうか。
今日も電車で出社。今週は毎日早起きなので、ほとんど体力勝負だ。
頑張って今日も『数学フィールドワーク』を読む。また、誤植を発見。
会議が多くてつらい1日だった。
JMAから販売を開始した生産技術の本をファックスで発注した。約2万5千円の本で、自費による購入である。自分の30年のキャリアから考えて、必要な本だと思った。
明日は地元で講演会である。
帰宅し、共用パソコンのバックアップの照合チェックを確かめたら無事終わっていた。
夕食を摂ってから、仮眠することにした。元気がなければ作家としての活動はなかなか難しい。
午前1時に仮眠から起きて、講演の準備を始めた。画龍点睛の画龍は先週で終わっている。これから点睛つまり講演スライドに魂を入れるのだ。
夢中で作業して、終わったのが午前5時だった。ほぼ満足できる仕上がりとなった。
それからまた睡眠の補充に入った。
4月25日(土)「全力を尽くした講演が終了・・・の風さん」
昨夜から2回目の睡眠を午前8時に終えて起床。
天気予報がピタリと当たり、朝から雨。しかも、風も強くてまるで台風だ。
今日の講演後に販売する書籍の準備を開始した。サインの記入と、おまけの準備だ。おまけというのは、わざわざ買ってくださるお客様に、感謝の意味で贈呈する参考資料などである。
結局、昼までかかった。
スーツに着替え、雨の中、午後2時に家を出た。
ほぼ満足のいく話ができたと思う。反応もおおむね良好で、何と言っても、予想外にたくさん本が売れた。地元を愛し、地元に骨を埋める覚悟を決めた作家に対するエールだったろう。
疲れていたが、元気一杯で帰宅した(?)。
大きな仕事がまた一つ終わったので、明日から次の仕事に挑戦だ。そうそう。トレーニングにも行かねば。
4月26日(日)「五十肩が完治目前・・・の風さん」
まるで台風一過のように晴れ上がったが、いつものように強風が残っていた。
Google問題で、日本ペンクラブが抗議声明を出し、さらにGoogleに対して書面も送ったというニュースが出ていた。我々会員に急いで和解を勧めてきた日本文芸家協会と違って、協会はこれこそ真っ先にやるべきことと思う。交渉を要する場面では、急げば急ぐほど不利な状況に陥るものだ。そして、個人個人では非力でも、組織でならできることは広がる。今こそ、日本のすべての著作権所有者関係の団体は一致団結して、Googleとの交渉に当たるべきである。
1週間分の疲労がとれるまで睡眠をとってからようやく起き出し、某誌の巻頭言を書いた後、トレーニングに出かけた。1年8ヶ月ぶりに復活してから3回目である。少しずつ負荷を増やしているが、基本的に体のバランスを取り戻すことに重点を置いている。
今日は、1時間半のトレーニングを終えた頃に、急に右肩が楽になったのを感じた。つまり五十肩がほとんど痛くなくなったのだ。やはりトレーニングの効果は偉大だ。さらに体重も減ってきた。
4月27日(月)「頑張れ、シルバー・・・の風さん」
我が家のペット、シルバーの足腰がますます弱ってきた。昨日、インターネットで猫の病気について調べてみたが、シルバーの複雑な症状から類推できる病気は見つからなかった。昨年、獣医に連れて行って噛みつかれてひどい目になっているので、また診てもらう気にはなれない。やはり老齢のせいかもしれない。人間なら100歳くらいに相当するようだ。もしものことがあったら、庭に埋めるとかしないで、ちゃんと火葬にし、骨壷を用意したいと思う。そして、私が死んだら、一緒に埋葬してもらうのだ。……とは言え、まだ生きているのだから、しっかり面倒みてやろう。
昨日書いた某誌の巻頭言が、一気に校正も進み、仕事として終了した。色々な仕事が遅れているが、こうやって一つずつ終えていかねば……。私の寿命も猫と大差ないかもしれないし。
4月28日(火)「作家にGWはない・・・の風さん」
明日からGWだが、そんな感じはしない。シームレスに多忙なので、1年は365日・・・いや、1年の節目も感じずに日々を過ごしている。
昨夜から今朝にかけて、また無茶をしてしまった。夕食後、例によって書斎でダウン。午前零時過ぎに起き出して、とりあえず入浴後、行けるとこまで行け、とばかりに仕事に着手。巻頭言の修正が終わって、午前2時頃、電子メール添付で送ったら、すぐ返信が来た(笑)。
それから、某新聞の連載企画(案)を7つばかり考えて、未明に送っておいた。これはどうなるかは反応次第。
その他、あれこれやっているうちに午前5時近くなって、猛烈に眠くなってきたので、ベッドに潜り込んでみたが、うつらうつらしているうちに出社時刻になってしまった。
今日も電車で出社。『数学フィールドワーク』が難しくて、理解が進まない。
出社してやっとGWを意識した。つまり、どうせ明日から休みなのだから、今日は死ぬほど頑張ろう、と(笑)。
フラフラで帰宅したら、タイミング良く某新聞文化部から電話。「連載は、ずっと先にしましょう」ということになった。これで超多忙で死ぬのが先送りになった・・・ということか(笑)。
4月29日(水)「作家に外出日和はない・・・の風さん」
目が覚めたら書斎に転がっていた(笑)。だめだめ。これで死んだら、新型インフルで死んだと間違えられる。
窓から外を眺めると、実に美しい青空が広がっている。こういう絶好の日和に、私はたぶん家から出られなくなる。
遅れに遅れている執筆を挽回しようと、これまで全く手をつけられなかった『数学者列伝』(仮題)の資料読みを再開した。あまり資料がないかと思っていたが、自分の書斎に参考資料がけっこうあることが判明した。先行投資が役に立ちそうだ。
根を詰めたので、夕方からまたダウン。トレーニングを中止して作業を進めた。
夕方、洗濯物を取り込みに外へ出たら、暑くもなければ寒くもない。風もなく、花粉の飛散もとっくにピークを過ぎたので、外は爽やかだ。やはり、予想通り、こういういい天気の日に限って外出できない。作家の宿命か(涙)。
4月30日(木)「健康第一・・・の風さん」
新型インフルがフェーズ5になってしまった。世界的な不景気の中、悪いことが重なるものだ。
・・・と思っていたら、あっという間に成田着の日本人女性でA型陽性反応が出たという。誰も免疫力がないのだから、ちょっとした油断でインフルになってしまう。いつもと違う人の動きが生じるゴールデンウィークだが、はたしてどういう結果になるのか。
今日の風さんは、朝から執筆に精を出したが、夕方からトレーニングに行った。
今月4回目で、1年8ヶ月ぶりのトレーニングの効果は、五十肩が軽くなってきたのと、体重1kg減である。ゴールデンウィーク中に、あと2回は行かねば。
09年5月はここ
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